水戸黄門が好きなんです

引っ越しばかりしていたおかげで、私には幼なじみというものがない。引っ越せばもれなくついて来るのは転校である。転校したことのない人からは憐れまれるかもしれないが、べつに抵抗するでもなく「そういうものだ」と思っていた。

家に帰れば母がいた。そのころの記憶は同年代の方々と同じように薄れている。ペンを執ればなにかたぐり寄せられるかも知れない。

小学校の大部分は千葉で過ごした。家は父の会社が社宅として借り上げた年代物の平屋で、庭には山椒の木がありアゲハチョウの飼育などしたおぼえがある。子ども心にみすぼらしいなあ、将来は二階のある家に住みたいと生意気にも思っていた。

そのころ家のテレビに映し出されていたのは多く時代劇だった。母が好きだったのである。チャンバラの場面になると「やれ、やれえ」とかけ声がかかった。萬屋錦之介(よろずやきんのすけ)の宮本武蔵や忠臣蔵にも胸をおどらせたが、それらに勝るとも劣らぬ一大ヒーローが、東野英治郎扮する水戸黄門であった。

水戸黄門は畏れおおくも前(さき)の副将軍である。将軍の次に偉いのである。そのとてつもなく偉い老人が、隠居にしては目にもあざやかな山吹いろの袷(あわせ)に紫の上掛けを羽織って、ひょうひょうと旅に出る。名は? 越後のちりめん問屋・光右衛門(みつえもん)。

ご隠居に何かあっては一大事であるから、助さん格さん、うっかり八兵衛、由美かおる(扮する美女、風車の弥七の嫁?)などおなじみのメンバーがついて来る。格さんは横内正だったり、大和田伸也だったりしたが、助さんの里見浩太朗は不動であった(調べてみると初代の助さんは杉良太郎だったらしいが見たことがない。筆者の年代がバレバレですね、ハイ)。

旅先でご隠居は領民の困窮を目の当たりにする。年貢が納められない美貌の後家などは定番である。

その後家をめぐって、もう見るからに悪役、といった代官が登場する。美貌に目をつけ自分のものになるよう口説くのであるが、まともな婦人が見かけも中身も醜悪なおっさんなど相手にするわけがない。悪代官はそれでもめげず、強引に迫ったり、あまつさえ脅したりする。

一方で「〇〇屋、おぬしもワルよの〜」などと相好をくずしながら小判の束をふところにし、見返りに悪徳商人の利権を保証してやったり悪事を見のがしてやったりするのである。

ご隠居の指示に弥七が走る。弥七は忍者であるから屋敷にしのび込み、天井うらにはりついて動かぬ証拠を集める。

悪いやつらは懲らしめねば世の秩序も正義も保てない。オープニングから45分もたてば待ってました、助さん格さんの登場である。

悪代官は旅の老人に悪事を見透かされる。吹けば飛ぶよな軽輩と見下していたジジイの、朗々たる説教を聞かされれば、そりゃ口もぽかんと開こうというものである。両脇には仁王のような丈夫(ますらお)がふたり。

おのれ商人ふぜいが、者ども出会えッ!と手下をけしかける悪代官。しかし助さん格さんは水戸藩きっての使い手である。かんたんにふんじばれるはずの相手に、味方はバッタバッタと倒れ伏すばかり。

頃合いを見て「この紋所が目にはいらぬか」と突きつけられるのが三ツ葉葵の印籠であった。

ジャーン、ジャジャジャーン、ジャーン、カーッ!

ああ、なんと素晴らしき効果音。

「こちらにおわそう方をどなたと心得る? 畏れ多くも前(さき)の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ! ええい頭が高い、控えおろう!」

悪党どももこれにはひれ伏さざるを得ない。言いわけは見苦しい。異議申し立ても通用しない。証拠をにぎられてしまっている。

「かッ、かッ、かッ、かッ」

ご老公が豪快に笑えば、すべては丸くおさまるのであった。

あんな笑い方のできる俳優もいなくなってしまった。朗らかな、それでいて腹の底に気合いのこもった、古き良きさむらいの笑い方であった。

ワンパターンの勧善懲悪劇と言われればそうかもしれないが、私は「水戸黄門」が愛される世の中に住んでいたい。

水戸黄門は昭和の時代の善意であった。この時代劇が流れていたころ、日本は健康で強かった。いまのようにあまりにも複雑でわけのわからない、不安だらけの世の中ではなかった。

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