「お母さんは、元気ですか?」
そう話しかけてみた。まえに七十代後半になるお母さんと二人で暮らしているときいていたからだった。「まあ、元気ですよ」と、こたえた。
つき合いが長いわけではない。はじめて彼に遭ったのはつい昨年のことである。前途に希望がもてないまま、人生の重荷にじっと耐えているように感じられた。その「重荷」は、私も長いあいだ背負って来たたぐいのもので、同じ穴の狢であればこそ、理解するのに言葉はいらなかった。
「考えてもどうしようもないから、考えないようにしています。いや、考えなきゃいけないんだけど、でも考えてもな・・・」
母親はいま七十代だが、八十過ぎたら病気などで動けなくなるなんて事態も出来するだろう。どこか施設にあずけようにも、自分にはその経済力がない。彼はまだ四十代だというのに、お墓のことまで口にした。
「先のことが考えられない。お先まっくらですよ。母親と、死んだあとお墓どうしようかなんて話してます。『委託合同散骨』というのがあるらしくて、それだと安くすむみたいで。この春からまた仕事がひとつ減りましてね・・・まあ、こんな道をえらんだ自分も悪いんですけど」
悪いことは重なるものである。そいつらは束になってやって来る。
業務委託、という形態ではたらいていると、むこうの都合で仕事を打ち切られることがある。「力による一方的な現状変更」というやつで、それは、ある日とつぜんやって来る。とくに落ち度らしい落ち度がなくてもだ。仕事がなくなることは、生存がおびやかされることとイコールなのであるが、経営側は、はたらいている者にも生活があること、仕事を失えばたちまち困窮することなどは考えない。まあ経営側にも言いぶんはあるだろうが。
「はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」この歌を詠んだとき、石川啄木はまだ若かった。若さはそれだけで救いになる。絶望にうめく夜を過ごしても、若者はなんとか光を見いだそうとするものだし、転職に成功したり、彼女や彼氏でもできたりすると、とたんに生きる気力がわいて来る。若者にはどうか、できるだけ楽しく、仕合せに生きてもらいたいと心から願う。
しかし、技術も、見識もあるひとかどの男が、四十をすぎても五十をすぎても、つねに食っていけるだろうか、家賃を払えるだろうかとの心配をしなければならないというのが、われわれの時代の実情である。大学はポストもないのに学生を大学院までひきとどめ、企業は人件費を「コスト」と見て、はたらく人を「派遣」さらには「業務委託契約」にして使い捨てにした。この世代の人々が、後顧の憂いなく所帯を持てていたならば、いまごろ少子化がどうのと騒がなくてよかったのである。
2018年秋、九大出身の法律研究者がなじみの研究室に火を放って自殺したというショッキングなニュースが流れた。46歳だった。努力しても努力しても報われず、生活費を得ていた専門学校からは雇い止めをくらい、肉体労働に手を染めたが生活を立て直すことはできなかった。「(生きてゆくのに)仕事なんて何でもいいじゃない」と言う人もいるだろうが、私はこんな物言いに出会うと逆上しそうになる。しょせんは『他人事』だからそんな気楽なことが言えるのである。NHKは「事件の涙」というタイトルで、ドキュメンタリー番組を放映した。それから5年もたつというのに、私はこの、一面識もない研究者のことが、頭から離れない。
川の流れは一定ではなく、ときに氾濫し、あたり一面を水浸しにすることもある。しかし水量がへると、あふれた水は流れから切り離された淀となる。そこに閉じ込められてしまった魚に、活路はほぼない。だが、死ぬか生きるかという瀬戸際でこそ、ひらく花もあると信じる。
「長生きはしたくないですね」と言う彼に、励ましの言葉をさがした。だが、解決策など容易に見いだせない、重苦しい空気のなかでは、何を言ったって空しくなってしまう。私にできたのは、彼の言葉に虚心に耳を傾け、その心を汲むことだけだった。