昭和がおわり平成にうつりかわるころ、岡山の中心街には、名物ともいえる「おっちゃん」がいた。
おっちゃんの仕事は交通整理だった。
全国津々浦々、アスファルトをけずっておこなう道路工事につきものの、よくある交通整理員と思うなかれ。おっちゃんの一挙手一投足こそ、通行人の耳目をそばだてるにふさわしいものだった。
はじめて「おっちゃん」を見たのは、高校生のときである。
バスやタクシーが入りみだれる交差点のどまん中に、制服を着た「おっちゃん」が、ピンと背筋をのばして立っていた。むかしレスリングでもやっていたのではと思うほど、上体の筋肉が発達しているのが看てとれた。信号が変わるたびに、ピィーッ、ピッ!と笛を吹いて進行方向を指し示すのであるが、白い手袋をはめた指先がビシッと伸びて、ほれぼれするほど姿勢がよかった。神経が行きとどくとはこういった動作のことを言うのだろうと思った。
それだけでも注目に値するというのに、制帽の下は、それはもう満面の笑顔で、一度見たら忘れられないものだった。
神々しい姿だった。
帰り道、私は「おっちゃん」の姿を反芻しながら、考えた。
腕や肘のまわし方など、尋常のものではない。どれくらい練習しているのだろうか。家の鏡のまえで?
それにどうして、毎日あそこまでにこやかに笑顔でいられるのだろう?
世の中、人の注目を集める人々がいる。俳優などはその最たるものである。
いい商売だ。映画やテレビに出て、堅気の仕事の何倍ものギャラをもらって、しかも女性からちやほやされる。楽屋裏で、空港で、出迎える女性ファンの声の黄色いこと。世の中不公平ですなあと実感する瞬間である。
おっちゃんは映画のスクリーンにも、テレビにも映らない。ちやほやもされない。当時の私のような、ヒマな高校生にめずらしがられるだけだ。給料だってほかの交通整理員とかわらないだろう。
それなのに、あの笑顔。
―――覚悟があるんだろうなあ。
私はそう思った。
まわりの人に笑顔をとどけよう。人はそう思っても実行しない。かりに実行しても三日坊主で終わるだろう。家族から「熱でもあるのか」と言われたり、周囲の冷ややかな半眼にさらされたりしたら、はたまた自分自身が「こんなことをして何の得になるのか」などと疑い出したりしたら、たちまちサービス終了の日がやって来る。
それがふつうの人であるが、おっちゃんはふつうの人ではなかった。
―――あのおっちゃんには、覚悟があったのだ。
おっちゃんは、雨の日も風の日も、石ころのように無視される日も、笑顔で交通整理をつづけた。
余人をもって代えがたい人がいる。私はおっちゃんからそのことを学んだ。